銭湯のペンキ絵の完成は、神業

銭湯のペンキ絵の完成は、神業

ペンキ絵といっても、基本的には他の絵画をあまり変わりはない。
が、ペンキ絵だけに見られる特殊な技法や手順もある。

まず、面積の大きさである。東京型銭湯のペンキ絵の平均的な大きさは一面が高さ3メートル、幅約5メートルという巨大な画面だ。
次にその絵を完成させるのに必要な時間が、約二面(男女の浴室)で4~5時間ほどと極めて速い。

現在は、銭湯の定休日か営業前の時間を利用して描いている。
とくに営業前の場合、開店時間前にはすべての作業を完了していなければならないので、とくに昼食をとらずに作業をすすめることもある。

そして必ず、先に女性側を完成させることになっている。
なぜならば、もし作業が延びてしまっても、男性側なら多少はお客に我慢してもらえるからだ。
女性客は、そういうわけには、いかないから。

また、数は少ないが、男女にまたがって画面が一枚につながっている銭湯もあるが、その場合は中心の境に富士山をひとつ描く事が多いのだ。

そもそもペンキ絵はいつから始まったのか

銭湯のペンキ絵の発祥は、大正元年(1912年)。
神田猿楽町の「キカイ湯」(現在は廃業)が増築するにあたり、浴室周辺の板壁を生かして何かできないかと考えた結果、背景画を揚げることになったからである。

三代目のご主人・東堯さん(大正元年生まれ)によると、「子供が喜んで風呂にはいれるように」と願い、ペンキ絵を考え出したという。
お客の母親が、子供に絵を見せながらゆっくり湯に浸れるようにと、期待を込めて。

それが、大評判になり、多くの銭湯にペンキ絵が取り入れられていった。
初めて描かれたのは、やはり富士山。画家・川越広四郎氏の作だが、彼は、静岡県掛川の出身。いつも富士山を眺めて育ってきたのだろう。

さて「キカイ湯」は昭和46年(1971年)に廃業したが、創業は明治17年。
石川県鳳至郡出身の祖父・東由松さんが開いた銭湯。「キカイ湯」という妙な屋号は、汽船に使うボイラーを風呂釜に活用したから。このボイラーは当時、機会釜を呼ばれていたので、そう命名したとか。

入り口には、ペンキ絵の発祥地というステンレス製の記念碑がある。(千代田区猿楽町2-7-1)

社・日本銭湯文化協会理事・町田忍 著 「銭湯の謎」より

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